他己紹介(友人から見た私)
これまで沢山の人と関わってきましたが、一般的に人間関係とは、中途半端にだらだらと続く関係の方が多いでしょう。
そんな中で、被写体として活動しているようなキラキラした「表面的な私」ではなく、「私の中にあるナニカ」に触れてくれた人達に言葉を貰いました。
Contents
友人A
ご存知の方はどういう方か知っていると思いますが、まあそれはそれはいい男。
顔も良ければ性格も良い。
彼に会った全ての方が絶賛する見た目と中身の良さ。頭も良い。あとお酒めちゃくちゃ強い。
ただただ、すごい。
会った方が全員ベタ褒めってすごい。
彼は全天候型人間なのだ。
いや、全天候「対応型」人間だ。もはやこのスキルだけで尊敬に値する。
彼は自身のブログで
「自分という人間」を語っている
・俺には自分の素がない。
・どんな人にでも合わせられる。
・俺には愛せる人がいない。
・どんなに仲良くなっても飽きる。
・幼少期に誰にも迷惑かけちゃいけない、素直な良い子にならなけらばならないと自身で強く感じていた。
そうして今の彼は出来上がったのだ。
結果として、今の彼は色々上手く行っている。だが、自身の心の奥底には暗く冷たいものが今でも眠っていて、たまにそれが鎌首をあげる。そんな時に感じるのだ。
「皆、偽りだ。」と。
表面では体裁繕ってるけど腹の底なんて真っ黒。人間なんて皆クソでクズ。
故に、ちゃんとしてる、失敗がない人に嫌悪感と人間味のなさを感じるのだろう。どうせ皆、体裁だから。まあ実際ほんとの話である。そういう人が大半だ。
彼の深層奥深くで、今でも心は揺れている。
しっかりと体裁を繕い、演技し、上手くやっている自分。
そんな自分に嫌気がさす時、他の誰かのそういう部分にも嫌気がさす。
それが鎌首を上げた時に途端に人間味が恋しくなる。
ちゃんとしてる人から見たら全然ダメな人間味のある人たち。
でもそんな人を見たいし、そんな人と触れ合いたい。
しかし自分がそういう人間になる事は許されないし、そういう人間にはなれないのが彼だ。
いや、自分がそういう人間になれないからこそ、人間味溢れる人に触れたいのかも。少しでもそれを感じたいのかも。
それが今回の旅で彼なりに少しずつ体感できたのであろう。今生きている環境、範囲が己の全てになるから。
違う環境に身を置けば自身の感受性次第では思想が180度変わることもある。
旅は良い。
私もずいぶんと影響を受けた。
彼の旅はまだ続く。
これから先も新たな思想を手に入れて、より良いあむさんになるかもしれない。
新たなあむさんになるかもしれない。
旅をすることによって、彼が長年悩んでいるようで悩んでいなかった部分が拓けてきているのだろう。
過去の自分が作り上げた今の自分の何かが良い意味で壊れ始めている。
友人B
最近、面白い人と出会った。
今まで出会ってきた同じ世界線の横軸に居る様な数多の人達ではなく、曲線の様な人間。数学で言う所の「y=ax」。
「こうであり続けないといけない」と社会に強制された「a=0」で直線の私。
一方で、自分の思想に純粋で、動き、変化し続ける「a>0」曲線の彼。
形で見ると全然違う物、でもどんな人間にも当たり前の様に心の闇(-y)がある。
多分人は一般的に、自分が心の闇(-y)に辿り着いた時に出会った人間を”良い人”、”魅力的な人”と見て、それが異性であれば吊り橋効果のように恋をしてしまう人が多いのだろう。
馬鹿がバレるので数学で例えるのは終わり。(数学得意な人ガチレスしないでください)
で、何故こんな回りくどく数学で例えたのかと言うと、【一般的】【普通】というのは世間が決めた答えだと思うからだ。
数学や算数は必ず答えが出る。計算の答えが「0」だったとしても、「0」という答えは出ている。
私は一般的、普通という言葉が嫌いだ。誰が考えても必ず行き着く答えであり、人に言われる言葉としても、自分が人に伝える言葉としてもあまり使いたい言葉ではない。それに、一般的、普通に捕らわれるのが面白くない。
私たちは共通して「面白くない人間を切り捨て、面白い人間を自分の連絡帳に残す。」という作業をしており、それは私で言う【人間の枠組みの選別】であり、彼が言う【他者のカテゴライズ】だ。そこでふたりに接点が出来た。
そもそもこんな思考をする人間を私は私以外に見た事がない。
何かに捕らわれたくないという異常な私欲。
そうして私は世間でいう「普通じゃない人」に出会ったのだった。
—異常な私欲。
彼は賢く、人間レベルが高い。私は彼の全てを見て、聞いて、知っている訳ではないが、短い期間関わっただけでも分かる事だ。
学生の頃から他者に理解されない悩みを持ちながら、ずっと努力してきた話を聞いた。
きっと出会った多くの人に慕われ、尊敬され、誰もが彼を「影で努力し、周りを助けるパーフェクトヒューマン」と賞賛しただろう。
彼と出会った頃は、私もそれを思う人間の1人だった。
ただそんな彼は友達が居ない。何故なのか。
きっとその深層こそが彼の心の闇なのだろう。
彼は趣味で物書きをしている。
自分の心が動いた時、書き留めたメモを元に書いているのだという。
彼は未知の人に出会った時に、すぐに相手の深い所にたどり着く。それは、受け手にとっては「優しさ」だと感じるだろうが、彼にとっては未知のカテゴライズだと言う。
カテゴライズとは、他人を枠に収めるための行為ではなく、「まだ誰にも理解されない自分」をどうにか一般的な枠に収めるための行為なのだろう。
そんな彼の事を、自愛が強いと感じた。自分を愛する為に「他者を利用している」という自覚があり、それを悪く思っていない。
他者を利用する過程で、彼は手を差し伸べる。そうして救われた人が何人いるのだろうか。
一方で、彼がふと横を見るとき、肩を並べる人間(友達や恋人)が居ないのは悲しいだろう。
誰よりも相手の理解者になるという事が、自分を理解して貰える事とイコールにならない事を悲しんでいると感じた。
そりゃそうだ、他者を理解することにリスクこそないが、それでは自分よりも相手の方がメリットは遥かに大きく妬ましい。
ただ1人の人間に費やす時間・労力のみを考慮すると彼の行為はマイナスだが、広く捉えると彼の趣味である「人生・経験談という名のデータベース」は着々と募っていく。
彼は彼の時間を使ってデータベースを取得出来る。であるなら、考え方によっては等価に近い行動だと言える。
それは恐らく普通の人には理解されない、私欲に貪欲な彼が享受しているメリットだと思う。
人は、環境やタイミングによって欲しい物はもちろん違ってくる。
ただ、彼がずっと欲しているモノというのは、昔から変わらないだろう。
誰よりも何よりも純粋であり、苦しみながらも追い続けている。
心の闇の底に沈んでいる小さな希望。もしかしたら彼自身、気付いていないかもしれない。
気付いているが「無理だ」と目を背けているかもしれない。
ただそれを他者から理解され、手を差し出された時、彼はナニカから解放される。そんな気がする。
—松本という名の書庫。
松本は本を沢山読むらしい。
「本棚に飾る本」と「外からは見えない扉付きの本棚に収納する本」があるという。
本を紙媒体で買っている人からすれば、ごく当たり前の風景。
だが、私が思う彼の分別の仕方は、彼自身の心と同じなのではないか感じた。
彼は、「飾る本と収納した本の全ては自分の自信だ」という。自分が努力した厚み(時間)であり、量であると。
自分の部屋で見るその本棚は立派に見える。
しかし、「本当に本が好きな他者の本棚を見ると、自分の本棚(自信と努力)と比べ落ち込む」と言う。
彼の中で本棚は、自分の心と直結しているのでは無いかと感じた。
誰もが彼の様に本への想いを掛けているとは思わないが、彼にとっての本という存在がそうさせる。
「形あるもの」、「目に見えるナニカ」として彼は紙媒体の本に拘るのだろう。
飾る本はお気に入り。収納する本はそこから外れたもの。
彼の趣味のひとつである「他者の人生・経験談のデータベース化」は形あるものではない。だが、彼の心の中にそれはしっかりとカテゴライズされており、飾られ、収納されている。
彼にとっての「人」と「本」。共通するナニカを感じた。
どの様な人間が飾られる存在で、逆にどの様な人間が収納される存在なのだろうか。
「読んだ本は再度読み返す事は殆どない」という答えから、彼の人間関係と似たナニカを感じる。
きっと彼が離れる人間は、彼の書庫に収納された人間なのか。もう会うことは無い人間たち。
彼の書庫に収納された本(人間)達はどれぐらいいるのであろうか。
それを踏まえると、彼が読んできた本達は誰にも負けない本棚になるのではないだろか。
ただそれに形はなく、目に見えるものでは無い。
現在も彼は本を読み、本を収納し続けている。
最近はよく連絡し、定期的に会ったりしている私は今の所は彼の本棚に飾られているのかなと安心する。
ただし、飾れる本の冊数は限られているし、本棚の主は気まぐれである。
いつか収納される日が来るかもしれないが、飾られている間はガラスの扉の中から彼を見守ろうと思う。
彼が思う「飾れる本」、「再度手に取り読み返したい本」に出会える事を私は願っている。
友人C
まず初めに言いたいのは、「関係を築いて害がある人間」ではないということ。
彼とはビジネスの話ばかりするため、趣味などは分からない。
彼の主な特徴は、天才的な思考力と理想を現実化する力だろう。
そして同時に、有象無象に対する無関心さも彼の特徴だろう。
彼は理想を実現可能なものにするために、絶えず試行錯誤を重ねている。
そのプロセスは厳しく、容易には満足しないが、その挑戦こそが彼の生きがいなのだろう。
そんな彼は、有象無象には興味を持たず、世間一般の流行や常識に対しては無関心である。
彼は関心と無関心の差が大きく、無関心な物には一切心を開かない一方で、自分が関心のあるものはとて大切にし、それを手に入れるために不断の努力を惜しまない。
彼の関心は日々様々な広がりを見せており、常に挑戦と変革を繰り返している。
そんな彼は、とても変化を好むタイプだと思う。
私はそんな優れた思考力の彼をよく「天才ですね」という。
何度もその賢さに驚嘆させられる事がある一方で、その能力は彼を少数派として孤立させることもあるだろうと感じる。
彼が特異な能力を持つが故に少数派である事をコンプレックスに感じているのは、普段の会話から伺う事ができる。
しかし彼はそれに絶望しておらず、現在の少数派的な立場を打破し、自らの考えを多数派にすることを理想としており、より多くの人々に自らの信念や価値観を持ってもらうことを望んでいる。
彼は、その独自の視点と鋭い洞察力を持つがゆえに、しばしば孤高の存在となる。
しかし、その孤高ゆえに生まれる理想や理念は、彼にとって何よりも重要であり、その実現に向けて努力を続ける彼の姿は、一つの信念の体現であると言えるだろう。
彼の人生は、その理想の追求と実現に向けた不断の挑戦に彩られている。
友人D
未公開
友人E
彼は、思ったことは大半顔に出ますし、人間らしい人だと感じます。
最初は不思議な人だなって感じていましたが、素直で分かりやすい人だと最近は思います。
自分のことが大好きで、
自分の興味ないことは興味ないってはっきり言います。
どこか冷たいけど、そう言えたら楽だから、きっと楽な方を選んで脳を休憩させてるんだと思います。
毎日沢山の考え事をして疲れてるんだと思います。
自分大好きな彼でも、変えたい部分っていうのは少なからずあるみたいで、100%完璧だとは思っていないみたいです。
自分が何か冷たい言い方をした時はちゃんと謝罪をしてくれますし、
喧嘩をしても、お互いが納得するまできちんと話し合いをしてくれる人です。
最近の口癖はパチンコ行きたい。
でも、実際には行きません。
言ってるだけどいうか、スマホやパソコン、情報から遠ざかりたいと話します。
デジタルに疲れてるのもあるし、色々アンテナを張りすぎて疲れちゃうのでしょう。
日々成長することや様々なことを吸収することを忘れず、奮闘する姿は私に刺激を与えてくれます。
でも、時には母のように優しいときもあり、
こたつで寝ちゃダメだよとか、
そんな優しい心も持っている、見ていて飽きない人です。
冷たいのか、暖かいのか温度が分からない時もあるけど、それが絶妙で彼の魅力のひとつなのかもしれません。
どんな活動をして、どんな表情を見せてくれるのか、今後も楽しみです。